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感覚のリセット― [6] 子どもの一年、大人の一年
もうまもなく、2007年も終わりです。
年末のこの時期は、時の流れの速さを特に感じますよねー
僕も、紀伊國屋書店発行のフリーマガジン「スクリプタ」に連載中のエッセイで、
自分が感じる時間の速さ、長さの不思議について考えたことを書いてみました。
お楽しみくださいー

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感覚のリセット― [6]

子どもの一年、大人の一年

岩井俊雄

f0118538_2263177.jpg 下の娘が1歳になった。成長が速く身体の大きな彼女は、もう赤ちゃんという雰囲気ではない。10ヶ月の終わりに歩き始めて、誕生日にはしっかりとした足取りで一升餅を背負って歩いてしまった。一緒に暮らしていると、日々の成長をそんなには実感しにくいのだが、体重3640グラム、身長50センチで生まれた彼女は、この一年で体重が約3倍の10キロを越え、身長は1.5倍の75センチに成長した。
 一方、7歳になる長女も、一年で7センチ背が伸びた。ついこの間まで踏み台を使ってキッチンの棚からお菓子を取っていたのに、今は、つま先立ちで手を伸ばせば届くようになってしまった。一年前には、まだひらがなを読むのもたどたどしかった彼女が、今では僕の本棚から手塚漫画を勝手に抜き出しては読み耽っている。
 彼女たちの身体の中では、どんなスピードで時間が流れているのだろう? すっかり重くなった二人の娘を、両手でなんとかギリギリ抱きかかえながら、そんなことを考えた。
 子どもたちの成長は、本当に速い。植物を見るようでもある。春に庭の草木が芽吹き、花が咲いたのをうっかりすると見逃してしまうように、彼女たちの成長を後になって気づき驚くこともしばしばである。一年という時間が、彼女たちにいかに充実した大きな変化をもたらしていることだろうか。それに比べて、我々大人にとっての一年は、あっという間である。正月を迎え、ああ新しい年が始まるなあ、と思っているうちに春になって、もう4分の1が過ぎたのか、と愕然とする。ぼやぼやしているとすぐに年末である。小さな子どもと一緒に暮らしているおかげで、今はかろうじて一年の中での様々な変化を実感できてはいるが、自分自身に流れる時間は相変わらず超高速で飛び去っていく。自分の少年時代を思い出してみると、一年はもっと長かった気がするのだがどうしてだろう? 子どもと大人に流れる時間がこうも違って感じられるのはなぜなのだろうか?
 同じ長さの時間が、使い方によって長くも短くも感じることはよくある。人に待たされた30分は永遠に長く感じ、親しい友人と楽しく談笑した30分はあっという間に過ぎていく。そうした体験の密度も関係しているとは思うが、大人になった自分が一年を短く感じる理由がそれですべて説明できるとは考えられない。大人の自分は確かに忙しい日々を過ごしているが、子ども時代が退屈だったわけではない。
 同じ「長さ」でも、「物の長さ」は、ものさしで計ればはっきりわかる。目で見れば、2つの物の長短は簡単に比較できる。それに対して時間を比べるのは難しい。時計やストップウォッチで計ることができるとは言っても、物の長さのように、時間は2つを並べて比較できない。触って大きさや重さを知ることもできない。ましてや他人と自分、子どもと大人が一年という時間をどう実感しているのかは比べようがないのではないか。
 そんな風に時間感覚について考えあぐねていたとき、古いアルバムを眺めていてはっと気づいたことがあった。それは昭和47年に実家で撮影されたお正月の家族写真だった。小学四年生だった僕を取り囲んで、母と三人の姉が並んでいる。家族の中で、その時僕は一番背が低かった。しかし、その後中学に入った頃から背はぐんぐん伸びて、あっという間に僕は家族で一番ののっぽになった。そのせいか、久しぶりにその写真を見てみたら、母や姉たちがまるで2メートル以上ある巨人だったかのような錯覚に陥った。そうか、物の長さだって絶対的なものじゃない、自分にとっては相対的で可変的なものなのだ、と気がついた。そういえば、何年か前に自分が通っていた小学校を訪ねた時、教室の机やイス、階段が異様に小さく感じた。結局、現在の自分の身体を基準にして、大きさや長さを感じていたのである。
 その時、ふと思った――時間の長さも、同じように現在の自分の身体を基準にして感じているのではないか。大人の自分は身体の物理的成長は止まってしまったが、時間はずっと自分の身体に蓄積され続けている。もしかしたら、我々はこれまでの人生で過ごしてきたトータルの時間数を尺度として、時間の長さを感じ取っているのではないか。
 1歳になったばかりの次女にとって、一年という時間は彼女の人生の100%である。7歳の長女にとって、一年は人生の7分の1。そして45歳になった僕に、同じ一年は人生の45分の1である。例えば、45歳の今の自分と比べて、9歳の時の自分には一年が5倍長く感じられたかもしれない――大雑把な計算ではあるが、意外と一年という時間の感覚的な長さを捉えるのに、この考え方はしっくりくるように思える。
 自分がこれまで生きてきたトータルの時間。それが自分が今を生きるうえでの時間の長さのものさしであるとしよう。それはどうあがこうと自分には変えられないし、今も刻一刻と自分の身体に時間は蓄積され続けている。一年という時間の長さは、感覚的にこの先もっともっと短くなっていくのかもしれない。では、そのものさしに、どれだけ細かい目盛りをつければ、子どもたちと同じように充実した一年を過ごせるだろうか? 僕はいま、そんな風に自分に流れる時間のことを捉えてみたい、と考えている。
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初出 scripta no.6 (紀伊國屋書店)

by iwaisanchi | 2007-12-29 02:09 | ◆岩井パパのエッセイ
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