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感覚のリセット―[7] 葉っぱとコンセント
紀伊國屋書店のフリーマガジン「スクリプタ」の最新号が届きました。
連載中の僕のエッセイでは、このところずっと考えている
人が創造することの原点とはどこにあるのか、をテーマに書いてみました。
奥深いテーマなので、この小文ではまだまだ未消化な感じですが読んでみてください。

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感覚のリセット― [7]

葉っぱとコンセント

岩井俊雄

f0118538_0362761.jpg もうずいぶん前だが、わが家でこんなことがあった。今の家に引っ越す前、まだ豊島区の賃貸マンションに住んでいたときのことである。ある夏の日の午後だったか、部屋の壁をふと見たら、電気のコンセントから葉っぱが2枚、ぶらりと垂れ下がっていた。発見した瞬間は、あたかもコンセントの穴から緑の葉っぱが生えてきたように見え、その違和感にドキリとした。そしてすぐに――ロカちゃんの仕業だ!と気がついた。
 当時、ロカちゃんは2歳くらいだっただろうか。ママが、イタリア料理の香り付けに使うバジルを、ベランダに置いたプランターで育てていて、パスタや魚介のマリネを作る時によく「お料理に使うからバジルの葉っぱ取ってきてー」と、まだ幼かったロカちゃんに遊び感覚で摘ませていた。ロカちゃんは何を思ったのか――たぶん、そのバジルの葉の根元の茎の部分が、ちょうどコンセントの穴に合う太さだということに気がついたのだろう――2枚のバジルをコンセントに差し込んだのである。
 差したのが葉っぱでよかった、万が一電気を通す金属の何かだったら…と想像してヒヤリとしたのだが、コンセントから自然に生えたような葉っぱの佇まいがなんともアートっぽくて、胸をなでおろすと同時に笑ってしまった。他愛のない子どものいたずら、と言ってしまえばそれまでだが、「電気と植物」という意外な組み合わせも、見た目のビジュアルもインパクトがあったし、これがもしアーティストの作品として美術館に展示されていたら、ちょっとした文明批判のコンセプチュアルアートか?とまで、深読みしてしまいそうな出来映えだった。僕には、大人が知恵を絞って考えた現代美術作品も、それほどレベルが変わらないような気がして、アートに関わる者の一人として大いに苦笑してしまった。大人がこれをやったらあざといが、2歳の女の子が無心でやった行為だからこそ、余計にアート的に感じてしまう部分もあった。せっかくなので、記念に写真を撮っておいたのだが、どこかにいってしまって見当たらないのが残念である。
 幼い子どもは時折、大人を驚かせ、考え込ませるようなことをしてくれる。現在1歳4ヶ月の次女ゆゆちゃんも、このところ面白い行動をするようになってきた。先日のこと、ゆゆちゃんがリビングの壁の下側にある換気用の窓の前に立って、しばらく両手を動かしているので、何をしているのかな、と思ってよく見たら、窓に取り付けられた網戸をツメでカリカリ引っ掻いて、その音を楽しんでいた。両手の指先を上下に細かく動かして、網戸の音を奏でるゆゆちゃんは、まるで器用にピアノを弾いているかのようにも見えた。かなりの時間、夢中になってやっていたので、そんなに面白いのかな?と、僕も後で試してみたが、子どもと大人ではツメの大きさや厚さが違うせいか、ゆゆちゃんのような高い音がうまくでなかった。しかし、音だけでなく、網戸の上に指をすべらせる時の感覚が新鮮で、ハッとさせられるものがあり、ゆゆちゃんが楽しんでいた理由がわかった気がした。その後、彼女が網戸だけでなく、リビングで使っているガスファンヒーターの裏側の防塵用に取り付けられた金網でも、同じように音が出るのを発見して遊んでいるのを見て、その観察力にすっかり感心させられた。
 考えているうちに、僕の作品制作も、ゆゆちゃんとまったく同じプロセスをたどっていることに気がついた。新しい作品のアイデアは、日常生活の中の何気ない気づきからやってくることが多い。それをいかにつかまえて、面白さの理由を理解し、作品の中で再現できるようにするか。ゆゆちゃんの場合も、たぶん最初は、たまたま網戸にツメが当たって音が出たのだろうが、そのことを面白いと感じて、何度も繰り返しては面白さの追求をし、さらにファンヒーターの裏に似た質感の網を見つけて、同じ行為をちゃんと再現しているのだ。20年以上プロのアーティストをやってきた自分も、なんのことはない、たった1歳のゆゆちゃんと同じではないか。
 幼い娘たちがとったこれらの行動は、日常生活の中でいくつかの条件が偶然重なって生まれたもので、作品や表現と呼べるようなものではないかもしれない。たぶん本人でさえ、そのうち時間が経てば忘れてしまうくらいの他愛ない遊びの一つに違いない。しかし僕には、彼女たちの行為が、まさしく人の「発見し、創造する」ことの原点のように思えてならない。「三つ子の魂百まで」と言うけれど、僕ら大人が何かを作りたい、表現したい、と思う気持ちの根っこは、もっと前の、こんな幼児期の喜びからずっとつながっているのではないか。
 僕は、長年メディアアーティストとして、新しい自分だけの何かを創造することを職業とし、誇りに思ってきたけれど、それでも作ることをあえて仕事にしてしまったがために、相手のリクエストや締め切りに合わせ、世の中での位置づけや他人の評価をつい気にしてしまうようになってしまった。それに比べて、彼女たちは、誰かを驚かせたいとか、ほめて欲しいとかいった作為も欲もなく、誰からも教えられずに自分で遊びを発見し、純粋にその喜びに没頭している。そんな子どもたちを、大人になった僕はとてもまぶしく感じるのである。
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初出 scripta no.7 (紀伊國屋書店)

by iwaisanchi | 2008-03-19 00:37 | ◆岩井パパのエッセイ
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