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感覚のリセット―[10] アナログとデジタルの間に架ける橋
紀伊國屋書店のフリーマガジン「スクリプタ」10号に書いたエッセイをご紹介します。

このエッセイの〆切が、特別授業をやったあとだったこともあって、
授業のことを書こうかとも考えたのですが、とてもこの字数にはまとまらず、
思い直して、その特別授業をやりたいと思い至った大もとの気持ちを探ることにしました。

実は、この連載エッセイ「感覚のリセット」も今回が最終回。
それもあって、「アナログとデジタルをどうつなぐか」という、
自分にとっての大きなテーマをまとめとして選んだ、というのもあります。

読んでみてください。
感覚のリセット―[10] アナログとデジタルの間に架ける橋_f0118538_23544518.gif

感覚のリセット― [10]

アナログとデジタルの間に架ける橋

岩井俊雄

感覚のリセット―[10] アナログとデジタルの間に架ける橋_f0118538_18284978.jpg 2歳になった次女、ゆゆちゃんが虫に夢中だ。家を建てて4年が経ち、庭に草花が増えてきたせいか、バッタ、カマキリ、コオロギ、カマドウマなど様々な虫が棲みつくようになった。ゆゆちゃんはそうした虫を見つけるたびに、捕まえて欲しいと大興奮で僕を呼びにくる。触りたいのだ。体長10センチほどもあるカマキリでさえ恐がらずに大喜びである。そして、ジーッと見つめて飽きることがない。虫の形や色の複雑さ、動きや反応、そのすべてが魅力的なのだろう。虫を見る彼女の集中力を見て、2歳の子どもの心をこんなに捉える自然の力はすごいな、とあらためて思う。CGやロボットが今よりもっと高度になったとして、小さな虫一匹が持つ複雑さに到達できるのは、いつのことだろう。
 8歳になる長女ロカちゃんとは、彼女が2歳ごろからずっと手作りおもちゃで遊んできた。それを本にまとめて発表した時、ハイテクやデジタルを得意とする岩井さんが、なぜこんなローテクな遊びを? と驚かれた。しかし、僕にすればメディアアーティストとして、散々ハイテクやデジタルを使ってきたからこそ、小さな娘には最初からそれを渡したくない、という思いが強くあった。そして何年も経った今も、ゲームやPCやケータイに強い関心を持ち始めた彼女に、いつそれらを渡すか決めかねている自分がいる。僕自身、デジタルの便利さ・面白さはよく知っているし、ニンテンドーDSのソフトまで作っていながら、この不安な気持ちはなんだろう?
 アナログなものとデジタルなもの、それぞれに得意な部分と不得意な部分がある。例えば紙ならば、折ったり曲げたり、切ったりくっつけたり、絵を描いたり色を塗ったり、平面的なものから立体まで、子どもは自分の年齢やスキルに合わせて自由に形を作ることができる。小さな子でも、紙という素材の持つ特性はすぐにわかるし、自分なりの工夫ができる。最初はハサミを使うのが危なっかしくても、工作を繰り返すうちに、子どもは徐々に自分で技術を習得していく。そこに親としての不安はない。一方、デジタルなツールを使って何かを作る時は、紙と向かい合う時のようなシンプルさや自由度はない。メニューやボタンがまちまちにデザインされたアプリケーションの上で、数多くの機能の中から自分が使いたいものを最初に見つけ出さなければならない。絵を描くのに、色を一瞬で塗ったり、塗り替えたり、複製をいくつも作ったりと、デジタルならではの便利な点はたくさんある。だが、便利さの反面、子どもの成長にとって大切な、心と身体感覚のバランスは取れるのだろうか?そこが親として不安になる部分だと思う。
 デジタル世界ではアプリケーションで決められた枠を子ども自身がはみだせないことも問題だ。自らの手で新しいソフトウェアを作れるのであれば、こんなに面白い道具はないが、8歳の娘にいきなり高度なプログラミングを教えるわけにもいかない。結局我々はブラックボックスの表面をさわっているだけで中身は理解できないまま。だから素人はバグやウイルスに悩まされ、玄人は裏技やハッキングにのめりこむ。それが現代のデジタルやハイテクの実体なのだ。
 それでも子どもたちが、デジタルやハイテクに強く魅かれるのはなぜか? それは、アナログやローテクでは表現できない魅力があるからだ。例えば、自在な動きや音、予想できないような変化や反応といった部分である。ゆゆちゃんが、虫をずっと飽きずに見ていられるのも、動きや反応が複雑だからだが、ローテクでそれらを実現することは難しかった。人工的にこうした要素を作り出すのに、デジタルはとても有効なのだ。子どもたちのまわりから自然が減り、虫がいなくなり、ペットも飼いにくく、兄弟も少ない現代で、自然に変わる楽しさをハイテクやデジタルに求めるのは当然だと思う。目の前で会話できる人が少なくなれば、ネットを使ったコミュニケーションのほうが面白くなる。しかし、デジタルの中に作られた世界は、まだまだ子どもたちにとって現実世界のような豊かさを獲得してはいない。
 デジタルを否定するつもりはない。次々と進化し、我々の可能性を広げてくれる科学技術は面白い。ただ、今の不完全なデジタル世界の見かけのきらびやかさ、面白さに子どもたちが満足し、依存してしまいそうなのが我々アナログ世代の親の心配なのだ。デジタル世界をもっと複雑で立体的で質感が伴ったものにしようと、今世界中で技術者が知恵を絞っている。しかしそれによって、デジタルが僕ら親にとって安心できるものにまで達するのはまだまだずっと先のことだと思う。少なくとも、そうなる前に僕の娘たちはすっかり大人になってしまうだろう。
 僕の育った時代は、アナログな世界に徐々にエレクトロニクスやデジタル機器が登場して、アナログの豊かさもデジタルの便利さも両方味わいながら、世界全体が前進していくのを実感することができた時代だった。デジタル時代に生まれた自分の娘たちにも、同じようにアナログとデジタル、それぞれの良さと欠点を両方わかるようになって欲しいと思う。そのためには、今は分断されている二つの世界の間をつなぐ橋のようなものが必要だ。アナログとデジタルの間に橋を架けるのは難しい。架けられるのかさえまだわからない。しかし、細い吊橋のようなものでもよいから、今のうちに自分の手でそんな橋が作れないか、このところずっと考えているのである。
感覚のリセット―[10] アナログとデジタルの間に架ける橋_f0118538_072366.gif
初出 scripta no.10 (紀伊國屋書店)

by iwaisanchi | 2009-02-24 14:29 | ◆岩井パパのエッセイ
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